眠らない島

短歌とあそぶ

ますいさち 第一歌集 『風船蔓』

春の光揉みこむようにゆれゆれて庭の白梅発光したり
 
「風船蔓」の作者ますいさちは、未來短歌会に所属し、道浦母都子選歌欄の会員である。歌集を読み、この作者の資質と師である道浦母都子と通じるものを感じた。それは人生に対する前向きのエネルギーである。一読してとても風通しの歌が並んでいて、肩の力が抜けるような安らぎを感じる。生活の時間の中に四季折々のひかりや風が流れている。作者は大阪近郊の富田林市の古い農家の主婦でもある。そういった明るい風土により育まれた快活なエネルギーが歌集前半に満ちている。
 
不揃いにうねる青田を見ていれば風よおまえの手足が見える
水張り田が早苗田になる嬉しさにツバメきたりて宙返りする
 
しかし、歌集を読み進めてゆくと、生きる時間のなかに忍び込んでくる孤独や寂しさが目に付いてくる。タイトルになった歌を引く。
  
寂しさは地の果てよりやってきて風船蔓に忍びこみたる
 
そうした、冷静なまなざしは、見巡りの風物にくっきりとした輪郭を与えてゆく。
 
たっぷりと昨夜の雨を吸いたれば飛び石ははつか柔らかくあり
ぽつねんとブリキの馬穴(ばけつ)が道ばたで夏の光を水に混ぜている
瞬く間に折り畳まれしひのくれを拡げるように灯の点りだす
 
一首目、の石、二首目のバケツを見る目にしなやかな感性と、どことなく孤独な影が落ちている。三首目は日暮れを美しく描写していて印象的だ。
 
さらに、後半になると軽い口調のなかに現実の実相へ深く入っていく厚みがでてくる。それは、生活の中で作者が自分自身と向き合うしずかな時間を発見していく過程でもある。物がくっきりと描かれ、過ぎていく時間のなかの一瞬を見ている。後書きにある「人生のどんでんがえし」という言葉に胸を衝かれた。作者は今難病と闘っていることを示唆している。そういった苦難の中でも、気丈に人生を引き受けようとする骨太さが印象に残った。また、この作者独自のユーモアが読む者の気持ちを救ってくれるようだ。
 
干されたる稲穂の乾く秋の原 肩の力を抜けばいいのだ
ウィークエンドを待たずとも日々自由なれば浮かれて夫は廊下を走る