眠らない島

短歌とあそぶ

『羽根と根 2号』


『羽根と根 2号』が届くのを心待ちにしていた。最近、若い人たちの同人誌の発刊が活発で、掲載されている作品群の新鮮な感覚に魅了されることが多い。若いだけあって、文体がまだ不安定なところもあるが、それも含めて現状に甘んじない挑戦する気迫に溢れていて、刺激的である。『羽根と根 2号』も期待通り、ボリュームたっぷりで眩しいような若々しい作品が並んでいる。注目した作品を挙げる。
 
 
佐伯紺
 
肩までをお湯に浸してこれまでとこれからのゆるいつなぎ目に今日
もっとがんばらなくてはという崖にいて折れた三角定規の四角
あきらめてみたい誰かを困らせてみたい救急車に轢かれたい
漕ぎ出すつもりなんてなかった海だった日々にまぎれてゆく装身具
 
散文的でドライな口語体を駆使しながら、若さの内包する切迫感を押し出してくる。若さは、負荷されている未来の質量の重さと比例する。連作からそういう息苦しさを感じた。一首目、「今日」という現在が、「ゆるいつなぎ目」として意識されている。ここには、ひりひりした未知の未来への期待感のようなものはなく、「これまで」は「これから」へとどうしようもなく移行してゆくといった、ある種の諦念のような時間の受け入れ方があるように思う。これは、この作者独特の感じ方かもしれないが、これも現代社会の尖端に曝されている若者たちの掛け値のない生活感情なのかもしれない。二首目、飾りのない口調が新鮮。「もっとがんばらなくては」と、自己の生き方を問い返す性急さ。そして三首目はそうした、切実さがもっとも露出した表現である。「あきらめてみたい」→「誰かを困らせてみたい」→「救急車に轢かれたい」。この飛躍の仕方は破滅的だが、モチーフは一番最初の「あきらめてみたい」にあるのだろう。「かがやかいしいはずの未来」であるために「もっとがんばらなくては」という意識と、もはや、どこにも到達できないのではないか、自由などは遠い世界のことではないのかといった、未遂の失意のような痛みを感じる。
連作をとおして、自明の世界をなぞるのではなく、内面のリアルな真情を自身のことばでつかみ出したいという、真摯な表現への意欲を感じた。
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坂井ユリ
 
カーテンが溜め込んでいる陽光を風はただちに散り散りにする
ふしあわせでもいいと言うまち針のような灯のある街を歩いて
はつなつの捧げられない花束よ 見て街路樹がふくらんでいる
 
連作全体に、淡い抒情に彩られた美意識が鮮明で、措辞が丁寧で心地良い。一首目、見巡りの光景をみずみずしい感覚で切り取っている静かな叙景歌。カーテンが風に揺れている、そこに「陽光」と「風」を孕ませて、瞬間の時間をいきいきと立ち上げている。「散り散りにする」という結句もどこか痛みがあって若々しさを感じる。連作の後半は、恋人との別れを暗示している歌が置かれている。二首目もそう読んでいいと思う。上の句が「まち針」に懸かり、また「まち針」がそのまま比喩として下句に懸かってゆく。「まち針」の可憐さが心情をよく捉えている。三首目はとても美しい作品。「捧げられない花束」として痛みを表現しきった上の句が印象的。下の句への韻律的な流れもうまくいっている。「街路樹はふくらんでいる」も初夏の季節感を柔らかく捉えていて、感銘を受けた。
 
七戸雅人
 
コーエーファンには右翼が多いといふ説の左翼を前に進めて攻めつ
奥歯もて魚ほぐしゐるこの朝も若狭は鰐の下顎のかたち
 
この作者は、旧仮名遣いで文語体である。「コーエー」というと『信長の野望』がすぐに頭に浮かぶが、この連作はその物語性の上に成立している。ゲームを行使しているときの意識のありよう活写しており、生命感にあふれている。現実世界よりも、いきいきと体と精神が躍動しているようで、不思議な感じを受けた。そういう異次元を描くうえでも、旧かな、文語体がよく利いているように思う。そのなかでも二首目、この歌は現実世界のほうに足場を置いて詠われているようだ。「若狭」という土地の地形が「鰐の下顎」として連想されている。その着想と上の句の、「奥歯」とがなまなましく噛み合っていて、印象深い。ここに「生命」のかたちを地図上に差し出されたような驚きを感じた。
 
阿波野巧也
 
冬と春まじわりあって少しずつ暮らしのなかで捨ててゆく紙
公園に白いつつじがつつましくひらく力のなかを会いにゆく
きみに雨、きみが小さな胸底にねむらせるたくさんの路線バス
雨は雨をふるそのことに従事してぼくは財布にお金をしまう
教科書体のようなあなたの首すじを窓辺にずっとずっと見ていた
 
五十三首もの大連作である。いい歌が多くて、読むのがもったいなくて、ありがたくて、率直に感動しました。全体に抑えた文体のなかに、質感や湿度感あるいは量感を感じさせるさりげない工夫が巧みに仕組んであって、歌数は多いけれど、飽きずに最後まで読ませる。加えて、相聞としての筋書きがあり、よく構成されていると感心した。ここでは五首だけ抜く。一首目、「暮らし」の本質を「捨ててゆく紙」のフレーズでシンプルに表現しきっている。しかも冬から春へ季節の移り変わる抒情性が風のように広がって解放感を生んでいる。「白いつつじ」「ひらく力」のあたり、古風でありながら、新しい言葉の組み合わせを感じる。結句「会いにゆく」もさりげなく、気持ちの動きを添えていて気持ちがいい。三首目、「雨」「きみ」「路線バス」という題材の運びがとても新鮮。なぜ路線バスが出てくるのか、不思議だけれど、「きみ」と作者との距離感をあらわすのに最もふさわしいように思う。四首目、も雨の歌。「雨は雨をふる」と言い切ることで、雨に過剰に意味をかぶせない。しかしそうすることで返って、新鮮なポエジーが生まれている。下の句への展開も上手い。自然と人事をそれぞれ、自律したものとしてドライに扱いながら、しっとりとした時間の流れを生んでいる。五首目、これは上の句の「教科書体のようなあなたの首すじ」ですべて決まった。「教科書体」からの着想が若々しさを感じる。
 
服部恵典
 
ポケットのなんかすてきな石ころでカラカラ笑っている洗濯機
卵焼きほっとりひかる春の日の吹く風はめろでぃおんめろでぃおん
 
連作をとおしてリズム感が楽しい。ことばが自由に跳ねている。やわらかな文体がモチーフと溶け合っていて心地のよい連作。「卵焼き」「春」→「めろでぃおん」への展開はなめらかで成功していると思う。「めろでぃおん」の優しい音色が響いてくるやさしい文体だ。
 
上本彩加
 
一瞬で他人になれる紙切れが夫婦にはある いいなと思う。
カーテンが風に押し上げられている まだ消えていないわたしを生きる
踏切の音がわたしを引き戻す 家賃は安いしいい部屋だここは
 
シャープな現実の切り方が心地良い。それは一首目では、酷薄さとぎりぎりであるが、結句の「いいなと思う」はどちらかというと肯定へと接続している。そういうドライな感覚が連作全体を風通しよくしている。二首目、上の句の景の切り取り方がいい。そこから、下句への展開にスピードがあって心地良い。「まだ消えてないわたし」という把握にもはっとさせられた。三首目、さりげなく生活感を詠んでいる。上句の景のとりかたが上手い。下の句への展開で、生活に動きがでていて、躍動感がある。生活が変わることへの期待感がとてもいい。
 
 
佐々木朔
 
茶店で呑めばコーヒーもわるくない きみが電話をかけに出て行く
言うことと言わないことのあいだには思想が出るね ナプキンを折る
みちがえるようなこころだ樫の木のさきにぼんやりつづく畦道
わたしは街のきれいなところだけを見たい 川べりのブタクサがゆれている
 
三十三首の大作でありながら、上手い歌が多くて、流れもいい。一首目、これで短歌として成立しているのかどうか、自問自答してしまうが、枠から解放されたこの自在さに羨望を感じてしまう。上の句にささやかな発見がある。そしてそこに抒情が孕まれている。それだけで十分なのだろう。二首目、「思想がでるね」のフレーズにぐいっとスイッチが入った感じをうける。独自の感性である。「思想」ということの現れ方をこれもシンプルにわしづかみしている。四首目ののずらし方も卓抜。「みちがえるようなこころ」という表現も独自だが、下句への景がさりげなくて、「こころ」のひるがえる瞬間をうまく捉えている。四首目も同じ構造かもしれない。「ブタクサ」が題材だけにおわらずに心象をよく言いえている。
 
『羽根と根 2号』には「企画 あなたの好きな歌集」があり、こちらも熟読した。歌集評への果敢な挑戦を楽しく読んだ。これから、ますます論が深まっていくことを期待しています。