眠らない島

短歌とあそぶ

宮沢賢治短歌への試論パート2

「大正三年四月」と題された歌稿Aから引く。この年、賢治は中学校を卒業したものの、進学はしておらず、蓄膿の手術をし、退院後は家業を手伝いながら憂鬱な日々を送っている。
粘膜の赤きぼろぎれのどにぶらさがれりかなしきいさかいを父とまたする
あたま重きひるはつつましく錫いろの魚の目球を切りひらきたり
入相の街のうしろを巨なるなめくぢの銀の足が這い行く
友人達はそれぞれに進学する中で、ひとり取り残された孤独感や苛立ちがこういう作品に繋がったのであろう。一首目、このころ父政次郎にはかなり熱心に進学をねだっている。しかし、政次郎は長男であり、体の弱い賢治には家業を継がせようとし、対立した様子がうかがわれる。それにしても二首目は穏やかではない。「魚の目球」を切りひらくのは、自傷行為の代償であろうか。暴力性の方鱗が伺われる。三首目、夕暮れの街の背景巨大な「なめくじ」を視ている。抑圧された危機的な内面がこういう幻想を掴みだしている。このイメージはのちに最初の童話の「蜘蛛となめくじと狸」のなかの邪悪な世界へと道がつけられる。
 
 賢治の童話はヒューマニズムに貫かれており、美しい幻想性が目をひくが、おりおり裂け目のように、異常なほどの暴力性や嗜虐性が顔を出すことがある。
「ペンペンペンネネムの伝記」などにそういう点が読める。「よだかの星」にしても、どうして、こんなに執拗によだかをいじめるのだろうか、という疑問をふと感じてしまう。そう思うと賢治には生来そういう、嗜虐や、邪悪な世界へ吸引される傾向をもっていたように思われる。それはとりもなおさず非日常世界への回路であり、賢治の幻想性を迫真あるものとして現出させる原動力として機能したのではないだろうか。賢治の初期の短歌作品は、そういった自身の原質の周辺をおそるおそる形象化していく試行として現れているような気がする。
 
 このように考えると賢治が何故、生涯にわたって仏教へこだわったのかその意味がわかるような気がする。二〇代の賢治は詩集『春と修羅』で
 いかりのにがさまた青さ
  四月の気層のひかりの底を
  唾し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
と言挙げする。賢治自身がおのれは「修羅」だと云わざるをえない内面の邪悪さや放縦さを意識していたわけであり、そのことは十分おののきに価することである。その甚だしいエネルギーを統御するものとして仏教の倫理観が求められたとは言えないか。よく知られているように、宮沢家は代々熱心な浄土真宗の信徒であり、特に父政次郎は熱心な求道家でもあった。宮沢家は仏壇によって日常生活が規制されていたといってもよいほどで、賢治は子守歌のように称名を聞いて育った。賢治の中では仏道は先天的な世界として獲得されていた。賢治は菩薩道をあゆんでいくことになるが、それが文学として結実したとき、童話としてあらわれる。
 
賢治が熱心に短歌を作った時期はそう長くない。中学を出て、高等農林学校を卒業する年までの一〇年ほどである。賢治の短歌は作品として評価を得られることは殆ど無い。やはり賢治の文学の資質は、定型に収まることは難しかったようだ。しかし、文学者としての賢治の初期作品として、賢治の原石を発見する楽しみがある。「大正五年一〇月中旬より」と題され歌稿を読んでゆくと異様な歌に行き当たる。
「何の用だ」「酒の伝票」「だれだ。名は」「高橋茂吉」「よしきたり。待で」
 果たしてこれは短歌なのか。ここにはすでに定型意識は崩れ去り、現実に生きている人間の生々しい息づかいが、短い台詞のやりとりから感じ取れるだけである。短歌かどうかという枠を越えてここで交わされる短い会話を叙述する方言は、土着性にあふれながらどこか不穏なそれでいて、暖かい緊張感と不思議なリズムに似た韻律を孕んでいる。その文体は、短歌定型から解体され、賢治の孕んでいた遠心的な世界に向かって拡散しはじめていたようだ。
 
大正六年一月には「ひのきの歌」という主題性のある連作を作っている。いくつか、目につくままに引用する。
第一日昼
 なにげなく窓をみやれば一本のひのきみだれていとど恐ろし
第二日夜
 雪降れば昨日のひるのわるひの菩薩のすがたにすくと立つかな
第七日夜
 たそがれの雪に立ちたるくろひのきしんはわづかにそらにまがりて
x日
 しばらくは試験続きとあきらめて西日にゆらぐ茶色のひのき
しかし、これなどはもはや短歌と云うよりは、散文詩を一行ずつに区切って構成した作品のような感じを受ける。「ひのき」は賢治の文学世界では非常に重要なアイテムとしてさまざまなニュアンスをもって登場してゆく。
また、大正八年ころ作品で、「アンデルセン白鳥の歌」と題された一連から引く。
「明けよ。」又月は語りぬやさしくもアンデルセンの月は語りぬ。
ましろなるはねも融け行き白鳥は群をはなれて海に下りぬ
あかつきの瑪瑙光ればしらしらとアンデルセンの月は沈みぬ。
白鳥のつばさは張られかがやける琥珀のそらにひたのぼり行く
このころ賢治はアンデルセン童話を熱心に読んでいる。ここでは童話から受けた印象を短歌に写し取ろうとしている。それゆえ、作者である賢治自身の生の感情はほとんど読み取れない。ここでは、既に賢治にとって短歌という形式への必然が失われている。
こうして、賢治の文学は徐々に短歌から、詩へ、そして童話へと移行してゆく。壮大な詩世界、童話世界に比して、短歌作品の多くは未熟で未完成ではあるが、賢治の発想の原形質として見逃せない魅力に満ちた宝庫でもある。