眠らない島

短歌とあそぶ

岩田亨 『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』

短歌に多少とも本気で関わりをもとうとするならば、斎藤茂吉と佐藤佐太郎という二人の巨星の洗礼を受け、そしてどう越えていけるのかは避けては通れない。近代短歌史に歴然と輝くふたりの個性はそれぞれの短歌論のなかに展開されているもののその全体像に迫るのは至難の業である。
 
この二人の歌人については、生前より多くの研究書や論文があり、参考にする資料には事欠かない。それだけに、全てに目を通すことができる事とも思えない。作品の解釈、短歌観の変遷とその位置づけ、戦争責任論等、論点は無数にある。その二人の歌人についてに考察を続けてきた軌跡が『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』という一冊の論考となった。もともと岩田亨のブログに書き継いできた文章のようであるから、それぞれが小文であり、重複する内容もあるが、各項目でよくまとまっており、文章も読みやすい。特に斎藤茂吉塚本邦雄にもたらした象徴の手法など丹念に検討して読ませられる。また、多くの人物の証言や豊富な資料を正確にしめすことで文章に奥行きがある。
 
とくに第六章「戦争と短歌」では斎藤茂吉が何故、戦争にあたって「時局詠」を大量につくることになったのかを多くの歌人たちの短歌作品を引用しつつ慎重に検討している。それを明確に「過誤」としたうえで戦争詠が「儀式歌」として機能していたこと、戦局が悪化するなかで短歌界を取り囲んでいた状況などかなり綿密に資料を渉猟している。ここに岩田自身が文学者として時代にどう責任を負うのかという主体的な姿勢が示されているようで、その骨の太さを感じ取ることができた。戦争と短歌との関わりを「仕方が無かった」で済ましてはいけないと何度も念を押すその継続的な意志に筆者の時代や政治へのしたたかな感性を感じた。この問題はまだまだ解決はされてはいない。むしろ、最近の政治の急速な右傾化を見ても、考え直す余地はまだまだありそうである。
 
どの論考からも伝わってくるのは、岩田亨という作者の短歌形式そのものへの燃えたぎるような情熱である。こういう継続的な情熱をもって短歌や短歌史と格闘している歌人と本を通して出会えたことを励みにしていきたい。