眠らない島

短歌とあそぶ

浦河奈々 第二歌集『サフランと釣鐘』

浦河奈々さんの第二歌集「サフランと釣鐘」を読み、しばらく経った。そして今朝、起きてみるとソチオリンピックで、羽生結弦君が金メダルに輝いて、さわやかな笑顔がテレビに映し出され、その演技が何度も流れている。それをみながら、浦河さんの歌集の掉尾の一首を思い出した。
 
リンクのうへ碧いかはせみの精が舞ふ濃き情念に汚れぬよろこび  
 
この歌は、特に歌集のなかで優れた歌ではないが、妙に心に残った。上の句では、軽やかなフィギュアスケートの情景を詠いながら、下の句ではそれを「濃き情念に汚れぬよろこび」と表現している。この展開によって際立つのは、打ち消されている「濃き情念」である。図らずも、ここに作者の内面を垣間見た気がする。歌集全体を読んで、この作者の「情念」に突き動かされた。繊細で透明感のある歌も優れているが、やはりこの作者の資質の主流は心の暗部への視線にあるのではないか。
 
湘南の夜の車窓に蠢ける黒ビニールの海を憶へり 
 
歌集の最初の方で、まずこの歌に遇い、軽い衝撃を受けた。瀟洒で明るい避暑地のイメージの強い「湘南の海」が「黒ビニールの海」と比喩されるとき、そう見るしかない作者の「情念」の重さがここにある。同じ一連にはこんな歌もある。
 
鉈で切りませうといはれてぎよつとする巨大アガパンサスの株分け
 
情景は、ただ植物の株分けの場面なのだが、「鉈」という刃物を登場させることで、殺人の現場のような怖さが現れる。ましてや歴史的仮名づかいで表記されていることで、上句に更なるインパクトが加わっている。「吸血鬼」の一連も強烈だった。
 
吸血鬼ならば吸ふべし生徒らのむつと熱くて甘からむ血を
吸血鬼なれば若くて熱き血の匂へる膚(はだへ)欲りつつ憎む
 
作者は、教師らしい。若い女生徒たちを見る嫉妬心をこのようにストレートに表現している。確かに、筆者も高校の教師であるので、この気持ちは理解できるが、その負の感情を歌にするところには結びつかなかった。ここに浦河奈々のひるまず、自分の醜さや負の感情に対峙しようとする骨太い姿勢を見るようで圧倒される。
 
まつくらな正面にらみ(直進などしてたまるか)と右折をしたり  
 
この歌なども、この作者の屈折した心理が躊躇なく表現されており驚く。この歌の前には、
 
つはぶきの黄色く咲ける産婦人科の横を歩いて花活けに行く
ベビーカーすれちがふとき張り詰めるわが顔がおのれは騙せぬといふ
 
という歌があり、作者が「子供を産む」こと、あるいは「産む女」へ、ひとかたならぬ屈託した感情を持っていることが伺われる。そいう、内心を直視しながら歌を繰り出すので、この作者の歌には自然とざらつきが目立つ。しかし、そのざらざらした感触が歌に力を与えているのだろう。
             
この夏はわれに死にゆく母ありてわが胸元のじんましん真つ赤 
母の頭蓋透けてみえること想ひつつサフランの球根五つ埋めたり
 
一首目、下句の「じんましん真つ赤」によって悲しみが身体性をもって迫ってくる。また、二首目、母の「頭蓋」と「サフランの球根」を重ねる大胆さのなかに大きな悲しみが爆発しそうである。死に近い母を看取る悲しさをこのように即物的に詠うことで、一層生々しい情感が立ち上がってくる。肉親を亡くす悲しみや、自分の内面を臆することなく繰り出しながら、植物や、動物など題材を貪欲に織り込む歌いぶりに熱いエネルギーを感じた。
  歌集の随所にある、くっきりと物を発見してゆくしなやかな感覚がこの歌集を下支えしていて、奥行き持たせている。多面的で、魅力的な歌集である。
 
コンビニの硝子に大きな蜘蛛の巣のやうな罅あり引き寄せられぬ