眠らない島

短歌とあそぶ

釜田初音 第三歌集 『航跡』

 
私が「未来」に入会した2006年である。初めての詠草が掲載された6月に、「未来」の創始者である近藤芳美が逝去した。近藤芳美の名前はもちろん知ってはいたが、「未来」という結社の中での近藤芳美の存在については全く無知であった。その後、近藤芳美に大きく影響を受けてきた歌人の発言や、近藤芳美門下であった会員の方々の歌を通してその存在の大きさを改めて知ってゆくことになる。このたび第三歌集「航跡」を出版された釜田初音さんも、近藤芳美門下のひとりである。釜田さんの歌集のなかに近藤芳美がどう影響しているのか、関心をもって読んだ。
 
夏の陽は世界の片方にかたまりて灌ぎてもなおくぐもる葡萄
 
掲出歌は、どことなく硬質な響きがあり、近藤芳美の歌の韻律に近いものを思わせる。連作から、作者が病気を患ったときの心境を詠んだものであろうが、「世界の片方にかたまりて」といったややくどい言い回しではあるが、違和感や不安感を「くぐもる葡萄」に集中させる感覚的な表現で定着させている。
 
戦争にかかわる何の縁なきを恥しみて近藤芳美門下 
 
近藤芳美は戦後短歌の牽引者であるとはよく使われるフレーズであるが、それだけに近藤芳美から戦争体験を抜きにしては語れない。それにしても、直接の門下であった会員にとって、戦争体験のないことが「恥しみて」と受け止められていることに少なからずショックを受けた。近藤の発言力の大きさを思わせる一首である。
 
生と死を問いて激しき終の歌読みなずみてなお何の喜び
 
近藤芳美の晩年の歌は難解であり、なかなか理解を寄せ付けないところがあった。一首目は、師である近藤芳美の歌を最後まで愛読し、読みとこうとする熱意が伝わってくる。特に「生と死を問いて激しき」としたところ、近藤への尊崇の思いがあふれる。しかし、下の句では一転して「読みなずみて何の喜び」と、なかなか理解を寄せつけない師の歌への戸惑いが吐露されており胸をつかれる。また、言葉の斡旋のしかたに近藤芳美調が感じられるところがあり、受け継いでこられた遺産をみるようだ。
 
作者は長く正岡子規の旧居である「子規庵保存会」に尽力されており、歌集の掉尾はその活動に関する歌が集められ、興味深かった。
 
蕪に替え大根を炊き子規庵の庭にふるまう年の瀬にして
蜘蛛の巣のごと逓信のシステムを起こせりあかねさしゆく明治
律さんにまつはるりえんりえんとふひびかひ淡くをみななりけり
 
子規や、一葉やらの名前が歌集のなかに登場するが、それは文学上の存在ではなく時間を超えて、同じ都市空間を共有しているというシンパシーが自然に流れている。そういう意味では、近代文学を風土で理解しえる「東京」に住んでいる作者が羨ましい。一首目は子規保存会の活動の一環なのだろう。子規が敬愛した蕪村にちなんで、蕪村忌には来館者に蕪を炊いてふるまっている。子規が知ったらどんなに喜ぶか。地道な活動である。
二首目、子規の文章を読んでいると盛んに葉書や電報がやりとりされる。朝だした、葉書が昼にはもう相手に届いている。今よりもずっと郵便システムが発達しているように思えて驚いてしまう。明治という時代の躍動感を詠っていて面白い。そして三首目は、看病に献身した子規の妹「律」を読んだ歌。律についてはつい美化されがちであるが、クールに詠んでいるところ、さすがによく身辺の資料を渉猟された結果の認識であろうと思う。
 
歌集に収録されている歌の大半は、近親者や交流のあった方の死を悼むや家族の消息を丁寧に詠まれている。これからも、そのおだやかな日常のなかで自然や人事に感応しつつ言葉を紡ぎながら、歌境を深めていかれることを願っている。
 
岸壁に塞かれてひだなす航跡のいかように吾にこの後あらむ