眠らない島

短歌とあそぶ

嶋田さくらこ 第一歌集 『やさしいぴあの』

新鋭短歌シリーズ第一期全一二冊が完結した。その掉尾を飾ったのが、嶋田さくらこさんの「やさしいぴあの」であった。
 
紫が香る楽しい町ですよ 信じてくれたらもっと楽しい
 
この歌を読んですぐに連想したのが万葉集巻一で登場する額田王と大海皇子との相聞歌である。
 
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る     
                     額田王
むらさきのにほへる妹を憎くあらばひとづまゆゑに我恋めやも  
                     大海皇子
 
この二人が相聞をしたのは、蒲生野、今の滋賀県東近江市あたりとされる。古代、染料として貴重であった紫草が栽培されていたという。作者、嶋田さくらこさんも琵琶湖の東岸の町にお住まいなので、古代の紫草の産地とはかなり近い風土があるように思う。大海皇子の歌では「紫」は額田王の美しさの比喩として使われて、弾むような情熱のあふれる歌となっている。さて、冒頭であげた嶋田さんの歌にもどると、「紫」は町を比喩している。おそらくこの町は作者自身の住んでいる町であろう。小さな地方都市を「紫の香る楽しい町」とする措辞には地元へのあたたかな愛着がある。そして、「信じてくれたらもっと楽しい」という下の句には、共に住む人々と繋がることへの願望が率直なことばで表現されている。
ところで、「町」とは、嶋田さんにとっては、ツイッターで繋がっている仲間と作り上げてゆく仮想の町でもあるような気がする。現実、非現実を超えて、人と人がつながることで「町」は存在するし、そこが「楽しい」場所になるかどうかは、参加するメンバーの意識に依拠している。はたから見ていて、嶋田さんの主宰する「うたつかい」は活力のある楽しい「町」に仕上がっていると思う。それは嶋田さんの豊かな発想力と小さな体からあふれる活力によって支えられている。その魅力は、この歌集にもそのまま表れている。若々しい歌の中に様々な感情の起伏や、人間関係が編み込まれて、飽きずに読むことができる。
 
つまさきに灯をともすような恋だった 靴下を履くことを覚えた    
電気屋で手を繋いでいる「ご新居はどちらですか?」と聞かれる遊び  
駅前でティッシュを配ることにした夜はあなたがいない楽しさ    
冒険が終わった先を記さない本の作者のような恋人     
 
恋もまた、もっとも小さな「町」といえよう。二人の住人の関係は単純ではない。その関係をレトリカルに歌うことで、生き生きとした感情が流れている。一首目、「つまさきに灯をともす」という喩が生きている。相手との関係を丁寧に築いていこうとする息遣いを感じる。その思いが下の句の具体的なしぐさに自然に繋がっている。二首目、「電気屋」という設定がよい。挿入されたせりふにも二人を暖かく包む町を実感させられる。三首目、二人の間の微妙な距離感をうまく掬い取っている。「ティッシュ配り」をする側の歌には初めて出会い新鮮だ。夜の町で通り過ぎてゆく人々にひとつひとつティッシュを渡す。仕事からささやかな喜びがうまれる。感情生活のありようが生き生きと伝わってくる。そして、四首目は、恋人のキャラクターの描き方が魅力的である。「恋」とはある意味「冒険」のような体験である。とすると本来「恋人」とはこういう非日常性を帯びている存在なのかも知れない。
 
町中のいたるところで燃え尽きるホース格納箱の情熱        
家業とは延々と永く綿々と祖父が死んでも続く日常         
 
 歌集の中盤で登場する、家族や家業の歌が落ち着いたトーンで、この歌集を軽く流れないよう工夫されている。一首目、町の風景を見る視線が正確である。作者の家族が新聞販売店を営んでいることも関係しているのだろうが、普段目にも留めないような町角の「ホース格納箱」にくっきりとした存在感が与えられている。二首目、祖父を亡くした家族にのこされた家業。大きな喪失感のなかでいやおうなくつづく日常という時間がある。家業や家族への目線が冷静で、じっくり読ませられる。
 
この作者の資質として光っているのは、ささやかなものからイメージや感情を喚起させる感覚だろう。
 
 にんじんの皮は剥かずに切り刻むその断面が春になるまで
 どんなことをされても生きてゆくためにクリームシチューに青菜を入れる
 
一首目、皮も剥かずに、にんじんを切り刻むしぐさはどこか痛ましい。しかし、「断面が春になるまで」とはどういうことだろう。悲しみをかさねてゆくことで悲しみを乗り越えようとしているかのようだ。二首目、「どんなことをされても生きてゆくため」とは少し大げさな言い回しから一転して、ささやかな仕草が提示される。確かに私たちは、「青菜を入れる」程度のささやかなことに喜び、そして自分を励ましながら毎日を生きている。二首とも作者の前向きな感情が立ちあがっていて好ましい。
 
 歌作を初めて、まだ日が浅い作者である。歌の方向はまだ定まってはいないが、多彩な歌が楽しませてくれる。みずみずしい感性がどの方向に伸びてゆくのか楽しみでもある、中でも注目した一首。幻想的な光景に、他者へのかぎりない慈しみを込めた祈りの歌。この方向にも可能性が開かれている
 
ある朝に深海6000メートルに沈む決意の月をとめたい