眠らない島

短歌とあそぶ

「くさ千里」 第十集を読む

 
「くさ千里」第十集をいただいた。草千里短歌会の活動も十年を超えることを思うと感慨深い。私も短歌をはじめてより、常連にはなれなかったが、このメンバーと互いに励まし合ってきた。草千里短歌会の一年間の成果をこうして一冊にしてみる機会を得られることは貴重である。
さて、このたびの歌集では、注目する作品に多く出会えた。
安保のり子さんの「本と季節の巡りと」はタイトルのとおり、東西にわたる多彩な読書経験に題材をとっている。静かな思惟の時間が作品全体に流れていて、作者の内的世界に自然に寄り添うことになる。
 
ぐねぐねと得体のしれない文体にからめ捕られて夜は更けたり
転轍手の物語よむ「倫敦から来た男」暗く寂しく働くひとの
冬の日のシュニッツラーの短編集皮肉に満ちて短日もよし
 
安保さんの場合、どの歌にもエスプリが利いているのが特色で、あまり重い意味を負荷しない配慮があり読みやすい。1首目の歌もある種ユーモラスに本の世界と自分との距離感を描いていて、抑制が利いている。適度な緊張感を持たせながら、歌を渡していく構成がとてもうまいのだ。「シュニッツラー」という固有名詞も歌の中に溶け込んでいて冬とのバランスがいい。また、さりげない日常詠にしても、深く情感を掘り下げていて読ませられる。歌の達者な人だ思う。
 
足裏のたわしで叩く一日の終わりが世界に繋がっている
 
玉川裕子さんの「海流の孤独」は連作として圧巻であった。南米アマゾンの熱気と湿気が、体中を包むように感じる。うねるようなリズムとエネルギーにからまって言葉が惜しみなく力強く排出される。熱にうかされたように、世界に向けて溢れるような賛歌を歌い上げている。こういう外向きのベクトルをもった歌人は最近稀有なのではないか。
 
交じりあうことなき海流の孤独おうおうと引きあう意思を持ち
レシーフェの海のあけぼのわが襟をオレンジ色に染めてゆくなり
こきざみに軽い振動走らせて可視光線が森林(もり)に射し込む
かろやかな銀色の音どこからか聞こえ始めて馬車が来る道
 
巻頭歌からとめどないエネルギーが噴出している。1首目「海流の孤独」は固い字面であるにもかかわらず、違和感を持たせない。歌全体が観念性を支えている。2首目、オレンジ色に染まる「襟」というディテールがあふれる生命感を伝えている。3首目、4首目もあまりこまかな修辞に頼らずに大づかみに風景を捉えている。そういうざっくりした文体が、作者の体感を伝えるのに奉仕しているようだ。
 
深井ちか子さんの作品も魅力的である。深井さんの作品の特色は批評性にあるように思う。
しかも、意味を重ねるやり方ではなくて、身近な風景から一筆書きのように批評精神を掬い取っている。
 
揺れる車両を左から右へ転がりゆく缶コーヒーの空き缶拾ふ手
ネット右翼ネトウヨ)の若きをのこら知らざらね安倍の野に降る戦ぎの雨を
しあはせを感じるやうにプログラムを組み替へますとマシンは言へり
 
1首目、「空き缶拾う手」で納めるところが、作者らしいしなやかな視点があって救われる。2首目は「安倍の野の戦ぎ」は大阪ならではのアイロニーが利いていて楽しい。
3首目、近未来を予見しているようでこわくなる。全体に理性的な読みぶりが安定していて気持ちがいい。
 
天坊庸子さんの「誰か起きなさい」はゆたかな韻律と題材の広さに
読ませられる連作であった。
  
  この闇のいづくにひかり蔵ひつつ息づきをらむ貴船のほたる
  秋ごとに冴え冴えもみぢ極まりて誰のこころのこの抽象画
  空と海ととけあふ方に放たれて舟はるかなる遊びのごとし
 
 自然の情景が、実感をともなってふくよかに歌われている。2首目、古来より歌い継がれた紅葉をこのように斬新に詠む力に魅せられた。
 
ほかにもいい作品が多くあった。紹介だけさせていただく。
 
生きるものへ伝えることがあるように遠く近くに八月の雨      
                       小貫慶子
ずれてゆくこころと思ふひと夏を籠り読み継ぐ古事記日本書紀   
                       坂本博子
商店街もおもての路地をはづるれば小さき鳥居をしみじみと見つ   
                       長尾 宏
冬の日の朝日が家の奥までも届けたぬくもりそっと手をおく     
                       峰松 隆