眠らない島

短歌とあそぶ

三好美奈子  『さくら待つ』

 
霧晴れて紀州の山に会へる日は海越えて白い封筒がくる   
 
三好美奈子さんは今年六月で米寿を迎えられた。三好さんとは亡き米口實先生の主宰されていた「眩」の勉強会でたびたびご一緒した。先生の辛辣な批評にも一歩もひかず、刻苦勉励されていた姿が印象的である。「眩」への入会は後書きをみると平成十年ころとある。
約、十年間、米口先生のもとで自分の歌風を築いてこられことになる。およそ十年、短いと言えばいえる時間であるが、三好さんは米口先生の目指された浪漫的な抒情と新鮮な感覚的表現をよく自家薬籠中のものとされている。掲出した歌に最初に会ったときには三好さんは、既に八十歳を超えていらしたであろう。にもかかわらず、まったく老いを感じさせない、むしろこれからの未来への初々しい憧れさえ感じさせられる。「紀州の山」というスケールの大きな捉え方もこの歌に伸びやかで、ひらかれた空間を作り上げているし、「白い封筒」も未来へのときめき浪漫的な表現で形象化されている。
 
熟れし実を切り裂くナイフを怖れゐる梨は冷蔵庫に眠りつづけよ
大寒の陽を背に溜めて立ちどまる わたしは誰を待つてゐるのか
ひねもすを本読みてゐし人の椅子 記憶の紐がだらりと垂れる   
 
また、自身の内面を凝視する粘り強い表現も獲得されている。一首目の「梨」の歌は歌集中でも目を引く。不安な心情をストレートに吐露するのではなく、「梨」という果物をとおしてより身体的な感覚で深められている。それは、二首目にも言える。上の句の「太陽の陽を背に」という把握が殊に優れている。紆余曲折があったであろう長い人生を終盤での深い自己への認識がここにある。三首目は、回想の歌であろうか。「記憶の紐」という表現が時間を伴った記憶という本質をリアリティを持って掴まれている。こういう表現には現代短歌の骨格を手にされて成功している。「眩」の仲間としてこのような成果を歌集として上梓されたことを喜びたい。三好さんは、よくものを見ることで独自の風景を発見してゆく。それを歌にすることで三好さんは新たな自己と出会うことができたのだろう。過去も未来の時間もすべてをあるがままに受け入れつつ、静かな時間に身を置こうとする諦念がある。それはひとつの救済と云えないだろうか。
 
誰としもなく恋しくてこし浜に青いボートがのりすててある