眠らない島

短歌とあそぶ

大島史洋『近藤芳美論』

『近藤芳美論』
     
大島史洋は自分の第一の師は近藤芳美だと明言している。若くして「未来」に入会し、近藤芳美と岡井隆という二人の個性的な先輩の影響を直接にうけながら、長く自分自身の歌を模索してきたことであろう。そしてその間、半世紀にわたって、近藤芳美の歌や歌論に深く拘ってきている。このたびの「近藤芳美論」は、おもに近藤の晩年の歌について、大島の考えをまとめたものとなっている。難解であるとして、退けられがちな近藤の晩年の歌にこめられた一貫した作者の思いをよく伝えていて、近藤芳美の歌をもう一度読み返したくなるような一冊であった。
大島は『歌の基盤』(2002年)のなかの「原点」(初出「短歌現代」1978年4月号)という文章で近藤の「新しき短歌の規定」に触れて、つぎのように書いていた。
 
「今我々は思惟の美しさを考えなければならぬ。思惟の美しさは感性の美しさの上位にある。新しい短歌の美しさをこの点からも考えるべきだと思う」といったあたりである。この部分の解釈が、どうも僕の中では従来、欠落していた。
今、自分があれこれ考えて困っているのは、「理知に移ろうとするあやふい一点」に踏みとどまるのをやめて、理知そのものに詩としての信頼を置いているからだし、思惟を感性の上に置くこともそのとおりなんだけど、「美しさ」はなかなか表現できない。自己の内部の質にこだわりながらも、僕はこの「理知」と「思惟」にこだわるのである。
 
この文章を読んで、大島という歌人の短歌観がよく伝わってくる。自身の短歌観をもつことは、歌人としては必須である。大島は近藤の戦後の有名な評論に大きな影響を受けつつも、自分自身の道を切りひらこうと丁寧な思索を重ねている。そして、このたびの「近藤芳美論」のなかでは、
 
私はこれまでの長い間「理知に移ろうとするあやうい一点に踏みとどまった抒情」という言い方に強い魅力を感じてきた。それは今も同じである。
 
としながらも、
 
近藤は、「現実に誠実に対決する」と言い、「思惟の美しさ」ということを言う。これらの言葉の意味するところが、私にはすでにわからなくなっている。
 
と率直に吐露している。根気よく「理知」と「抒情」との間で葛藤しつつ模索を続け、近藤のいう「思惟の美しさ」を問い続け、そして今は「わからなくなっている」とつぶやく大島の誠実さに思わず胸を打れてしまう。『近藤芳美論』のなかで
 
近藤の歌が、詩歌という大前提から外れしまっていると思う場合もないではないが、あのようなひたむきな姿勢はいったいどこから出てくるのか、日常の些末ないろいろなことをごまかしながらうたっている自分の姿勢を思うとき、何か大事な根本的なものを失っている気がしてならない。それがなさけないのである。
 
こう語る大島の言葉には、近藤芳美の一貫したテーマを追う姿勢への深い畏敬の念が込められている。また、大島の文章は読んでいて気持ちがいい。それは、自分自身にいつも問い返す姿勢があり、それをよく噛み砕いて平明な言葉で読者に伝えようとする誠意があふれている。さらに大島史洋という知識人のバランス感覚の良さも文章によくあらわれている気もする。
 
絶対の「無」を救済に思うとし一切の人間の限界に立つ
 
近藤芳美の晩年の歌は難解であり、理解されることが少なかった。大島は「自分は近藤のよき理解者ではなかった」と語るが、大島ほど近藤を理解しようと寄り添う歌人もすくないのではないか。巻末に収録されているインタビュー「近藤芳美に聞く」は、近藤が亡くなる十年前のものだが、近藤の懐の深くにはいり、晩年の思想の核心によく迫っていて読ませられる。近藤亡き後も、大島は近藤芳美の内に秘めた言葉をなおも聞きたいという。
このように生涯をかけて追う師を持つことができた大島は幸運であるし、それは大島自身の真摯な短歌への姿勢が招いた出会いなのだろう。この師弟関係に羨望を感じずにはいられない。