眠らない島

短歌とあそぶ

本多真弓/本多響乃 歌集「猫は踏まずに」

 
「未来」の歌友である本多真弓さんから、愛らしい歌集をいただいた。タイトルは「猫は踏まずに」作者名は「本多真弓/本多響乃」とある。ネットでも幅広く活躍している作者であるから、二つの名前を持つことで、私性からの距離感を調整しているのだろう。そういうコントロールが自在にできるのもこの作者が知的な資質をもっていることの証である。私としては、「未来」誌上の本多真弓しか知らなくて、その作者は、知的に抑制された文体をもちながら、しなやかな情感を定型にのせる高い技術をもっていることで私の関心をひきつけてやまない。文体はあくまでも明晰であり、言葉は平明。それでありながら幼稚な発想からは遠く、ふっと人間存在のかなしみのようなところへ連れて行ってくれる。文句なしに巧い歌人として尊敬してやまない。
歌をいくつか読んでみる。
 
火のやうにさびしいひとにさはれずに
ただそばにゐてあたためられる
 
「火」は熱すぎて触れない。そういうあり方を「さびしい」ととらえる柔らかな感性、そしてその「火」のような人に暖められていることが切ない。人と人との平面的ではない関係が浮かび上がってきて深い情感がある。
 
あなたたち
そんなところで何をしているのつていふ
はうの人間
 
 楽しそうにしている人の輪に入っている人と、それを外から見ている人がいる。人を二つに分けるとすると、こういう分け方もあると納得してしまう。そして作者は後者の人間だという。それにしても、だれしもこういう疎外感はもっている。その心理を、持って回った言い方や、修辞をかぶせずにさらりとした語り口で詠われている。無駄のない巧みな言葉の選択に驚く。
 
ほんたうに意気地なしだな
さつきからずつと月しか見てゐないのに
 
このあひだきみにもらつた夕焼けが
からだのなかにひろがるよ昼間にも
 
知的な処理が巧いばかりではない。「月」とか「夕焼け」とかのあり触れた言葉から、深い情感をくみ上げてくる。文体が多様なのである。そこにゆたかなひろがりが生まれる。こういう短歌的な抒情も紡ぎだせる作者だからこそ、多くのファンを獲得しているのだろう。
今後に向けて、贅沢をいわせていただければ、本多真弓の世界がぎっしりつまった本格的な歌集も期待したい。