眠らない島

短歌とあそぶ

松村正直「高安国世の手紙」

 
高安国世については、リルケに関する書物の翻訳者として大学時代に知ったのが最初であった。その後短歌に興味を抱くようになって、「塔」の創始者であることを知って少し驚きを感じた。しかし、それ以上に関心を持つことはなかった。松村正直氏の後書きにも、同じような下りがあり、ほっとする気持ちになったのが正直なところである。
 
 松村正直「高安国世の手紙」は「塔」2009年1月号から2011年2月号までの三年間にわたって計35回にわたって連載したものがもとになっている。410ページに及ぶ力作である。この長大な評伝を読み始めて、すぐに文章に引き込まれて途中でやめることができなかった。それはまず「手紙」という肉声をとおして、高安国世という生身の人間の息遣いに触れることからはじまる。そして推理小説を思わせる周到で丹念な追跡調査や膨大で信頼のおける原典や資料による考証によって、高安国世の実像をいきいきと再現させていく手腕は圧巻である。それは高安国世に限らず、彼をとりまく人脈におよび、それらの知識人をとおして戦前から戦後という時代を検証し、その時代の実像に肉薄していくという資料価値としても目を見張る内容である。
 
 第2章「阪神間モダニズム」では、甲南高校の生徒だった高安が少年時代をおくった六甲山麓の苦楽園の歴史が大変おもしろい。ここが温泉地として発展したことや、1938年の阪神大水害によって温泉が枯れ、阪神間モダニズムが終焉を迎えたことなど、時代の雰囲気を具体的に記述し、自然に高安が少年時代を過ごした芦屋、西宮という高級住宅地の雰囲気や大正モダニズムの明るさのなかに誘い込まれるのであった。
 
 また、第7章、8章の「榎南謙一」との交流への追跡は圧巻であった。病弱な少年であった国安が「日本少年」への投稿からしだいに文学少年に変貌していく。そして、その投稿を通じて出会う「榎南謙一」という岡山の少年との交流により、左翼的思想の洗礼を受けて煩悶しつつ、自立していく高安少年。当時のプロレタリア運動が大きな力をもって少年の前に立ちふさがっていたことなど具に知ることができた。また、そのあと、松村は、「榎南謙一」の故郷まで訪ねて、その著作を紹介し、戦死するまでの短い生涯を掘り起こしている。これは、貴重な仕事であると思う。
 
戦争によりいかに若くて有望な人材が多く失われたかに、思いを馳せずにはいられなかった。
 
 第17章「戦争とドイツ文学」では高安と戦争との「不思議な距離」について考察を行っている。それは、生来の資質や「ドイツ文学」を専攻したことなどにもよるとしながら、東京と京都という地域性と国家との距離の問題としてとらえており、戦時の時代状況の分析として興味深い。これは同時代の戦争体験のある知識人に比べて線の細い高安文学の一つの特徴になっていく原因にもなるのだろう。
  
 第26章「『塔』創刊と結社という問題」は特に興味深いものがあった。高安と「関西アララギ」との軋轢、また東京の近藤芳美とのライバル意識をあぶりだして、結社の抱える問題を丹念に掘り起こしている。そして、新しい動きが始まる機運をよく伝えている。
 
 この一冊の評伝をとおして、高安国世という歌人の実像に触れることができたのはもちろん幸運なことであったが、それにもまして、ひとりの知識人の生涯をとおして戦前から、戦後にかけての時代の深部を追体験できたことに興奮を感じないではいられなかった。松村氏の甚大な労に心から感謝したい気持ちで読み終えることができた。
 
今後あらためて高安国世の短歌を読み直してみようと思う。