岩尾淳子 第二歌集『岸』読書会 報告2
会場発言
1
・第一歌集と比べて
口語縛りがなくなった。茫洋としたところがなくなった。日常詠、職場詠、
先生への挽歌などリアリズムの歌が入った。
皮膚がんに頬うしないし須之内さんに大切な頬もどりますよう
・人を分かつ生と死に触れる。読み解けないけど深い。
・二つの震災を通じてようやく詠めるようになった時間
人の善意ということへの懐疑、屈折した気持ちがでている。
フクシマへ〈しあわせはこべるように〉を唄いたる小学生の薄い上履き
・なにげないところを平明な言葉でさしだす
ありがとう こんなに遠くに連れてきて冷たい水を飲ませてくれて
2
・視点のひろがりがある。
カメラワークが自在。作者の意識や時間性にも遠くなったり近くなったりする動きがある。
全体に「つくられた感」がない。
・自我が解消されてゆく心地よさ
おしみなく噴水の穂は砕けゆく私がだれであってもいい日に
・意識と時間が入れ替わる修辞が非凡
秋天にエレベーターは吊られいて記憶のように晩年は見ゆ
・こわい歌もある。生きている人はこわい。
光太郎の詩を読んでいる 光太郎は死んでいるから安らいで読む
3
・歌集全体に気持ちのブレがない。作為がない。
・気づきそうにないところに気づく。
水面に舌入れて呑む首筋のやさしいかたちを獣は知らず
生きるためのむき出しの行為を見ている。
・無意識からふと認識にかわる瞬間をとらえている。
うつむいて胸の釦を嵌めてゆく身体がなければもういない人
瞬間のあきらめや、空虚感が滲む
4
・家族や血脈を詠うことで自身を確かめる。戦争を背負う家族のやるせなさ、痛みを詠む。
・難しい言葉を使わずに哲学を詠んでいる。転換がうまい。
制服を着るのを忘れて来たというおおかた忘れていいことばかり
・発見の歌
踊り場にとろんとみえる須磨の海ここが一番あかるいところ
垢のつく衣の歌のかなしかる占部虫麻呂は還れたろうか
古典的
・異界へ入ってゆく感じの歌
靴を履き帰りましょうか山霧のあとずさりする寒い生前
5
・現実の手触りがある。先生の死を詠むことで現実感を入れている。
歌集全体が詩的でありながら死が漂っている。
死が多いのに明るくて暖かい印象。
・あかるい達観がある。
「少し呑む?」「ああ少し呑む」あてどなき心だけれどひとりでもない
もう諦めようよこの世に 来てしまいたる赤子は泣きやまずけり
とけそうな中洲の縁にこの世しか知るはずもない水どりの群れ
6
・第一歌集と第二歌集には太く通底しているものがある。それは生きていることのあいまいさ、不定さである。生きていることは本当なのかという根源的な問いがある。それが第一歌集よりグレードアップしている。
・生まれることは始まりではなく、死ぬことが終わりではない。人は短い時間の中に生きている。つまり不定の時間の中にいる。
・一番分からない自分自身を確かめている。
岸、それは祖母の名だったあてのなき旅の途中の舟を寄せゆく
あなたとの仮の宿りはいつまでか秋の野辺なるニトリへゆかな
燃えがらのような町からともらみな獣のように遠く去りけり
・現代詩的な表現。言葉とイメージとのぎりぎりの距離の取り方がうまい。
足首のとどかぬ晩夏 深くからここはあなたの庭だというが
行き場なきこころを夜の公園におけば離れてもうひとりいる
7
・やわらかな定型感、ゆるやかな情景 観察がよい
北壁に並べおかれた自転車がひとつ倒れて次も倒れる
たたずめば弥勒菩薩の右頬に飯粒ほどのふくらみは見ゆ
9
小学生のときのことを思い出した
「よく生きた」生きてただけでほめられる六〇三人登校した日
その他
1
・口語文体だからこそ不安定さが比喩に高められている。
口語文体をきわめて欲しい
2
・挽歌がたんなる挨拶歌になっていない。
冷酷でありかつ、文学的であり近代短歌の枠を超えている。
死んだのですねどうやって死んだのですか脳とか肺とか声とかは